スタンプでおなじみの「LINE」が2016/07/14にニューヨーク証券取引所へ、そして翌2016/07/15に東証1部へ株式を上場しましたね。テレビでは、上場カウントダウンの様子が映し出され、社員の人達の歓喜の様子が伺えました。僕はテレビに映し出されるこの歓喜の様子を見ながらどこか違和感を覚えました。それについて書きたいと思います。
つい3年ほど前に起きた事件なんですが、すっかり忘れ去られてしまっているこの事件…
そして去年起こったこの事件…
なにが言いたいかというと、
物理的に人を傷つける道具(銃やナイフ)ではないソフトウェアがきっかけのひとつとなって殺人が行われている
ということなんだよね…しかも…
生きて行く上で「LINE」というモノが必要不可欠なモノかと言われると決してそうではなく、生きて行く上で不要なモノから順番に消していくとするならば、たぶん最初の方に消えていくモノである
要するに、生きていく上で必ずしも必要ではないモノを使用したことがきっかけで殺人にまで発展してしまうという恐怖。これって恐くない?僕はめっちゃ恐い。
「LINE 殺人」でグーグル先生に尋ねると「広島LINE殺人事件」という記事が数多くヒットするんだけど、こんな風に、自分たちが作り出したモノが、それがたとえ間接的であるとしても、その要因となって人が1人でも殺されているような場合には、涙を飲んでその作り出したモノをこの世から葬り去るべきであるし、作り手にはそれを行う義務があると思う訳なんです。
「そうはいっても、使う側の問題でしょ?ほとんどの人は正しく使っているわけだし、車や飛行機の事故で人が死んだって、作った側の責任はないでしょ?」という声が聞こえてきそうなんだけど、僕はぶっちゃけ、車や飛行機が生きていく上でそこまで必要なモノではないのであれば、この世から車も飛行機もなくなっていいと思っています。そんなモノの為に、自分や自分の周りの愛すべき人達が犯罪に巻き込まれて、最悪死んでしまうかもしれないなんて恐くてしょうがないんですよ。
それが関わったモノで、人間が1人でも死んでいるようなモノはなくなるべき
これが僕の持論です。
それと、これが違和感を感じる最大の理由なんだけど、
「LINE」がきっかけとなって犯罪に巻き込まれて死んでいった人、自殺してしまった人、これらの「もう戻らない人達」の遺族の前で「僕たち!上場しました!ウェ~イ!!」って言ってみてくれ!
まあ、テレビ越しにもう言っちゃってるんだけどネ☆
アメリカが銃社会をやめられないように、大人の事情で見えないフリをするこの素晴らしき世界…いつの世もカネが人を狂わせるというか、正常な思考が麻痺していくんだね…