今すぐに死にたいというわけではないけれど、
自分は将来どんなふうに死んでいくのだろう
と考えた時にとてもココロがざわざわしてしまう。
病気で苦しんで死んでゆくのか、我が子や孫に囲まれて惜しまれながら死んでゆくのか、それとも嫁と離婚の末、ひとりぼっちで死んでゆくのか…。
明日、地球が大爆発して、地球上の全てのいきものが一瞬で粉々になってしまうみたいな「死」もいいとさえ思ってしまう。たぶんそれがイチバン良い終わり方なのかもしれない。
要するに、年老いて体や心が弱ってしまってから死ぬまでの期間。つまり「まるで生きているのか死んでいるのかわからないような期間」を長く過ごし、最終的にその先には「死」しか待っていないような死にざまはゴメンなのだ。
不幸にも東日本大震災や最近では熊本地震で被災し、住居さえままならず、宙ぶらりんな状態になってしまっている人たちを見ていると
あぁ…「生きてるだけでまるもうけ」なんて大ウソだよ。あれは少しでも希望がある人たちの言い分だ。この先にこれっぽちも希望なんてありゃしないじゃないか…
そんな風に思えてしまう。言い方は悪いかもしれないけれど、
あのとき死んでしまえばよかった…
こんな風に思っている人も少なくないはずなんだよね。
僕はたまたま本当に運良くそれらの被害をうけなかっただけで、この先それは自分の身に降りかかってくるかもしれない。仮に僕がこの先そんな事態に遭遇し、もしもただひとり生き残ってしまったとしたら、それから先の未来にたぶん希望は見いだせないだろうと思う
やすらかな死…とても心地よい響きの言葉だけれど、誰もが平等に約束されていない未来のことだ
とはいえ積極的に死ぬつもりはないし、死が近づいてきた場合には全力で抵抗しようと思ってはいるけれど、いきなりの死が訪れてもいいように、愛すべき人たちに言い残すことがないように、僕は毎日「ありがとうね」「すきだよ」「今日もかわいいね」というような少しばかり照れてしまう言葉を声に出して伝え続ける毎日なのです。